(2007/10/1〜8)

イスタンブール トロイ遺跡 聖母マリアの家 エフェソス遺跡 バムッカレ コンヤ カッパドキア アンカラ イスタンブール イスタンブール イスタンブール  民族の進歩と国家の独立を象徴する国旗

 前々から目をつけていたトルコへの旅が、ひょんなきっかけで実現した。
 きっかけはともかく、トルコという国は捕らえどころのない不思議な国だ。東西文明を結ぶ要所にあって、長い歴史の中で数多くの国が繁栄と衰退を繰り返し、民族や生活文化が融合した結果が各所に残されている。
 今回の旅はトルコの西半分の観光地をなぞっただけだったが、世界史の一部を思い出しながらの、楽しい旅だった。

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 国民の97%がイスラム教徒というが、政教分離の共和国。ラマダン中であったが戒律が厳しいとは我々には見えなかった。アラブ諸国と違って酒も飲む人が多いそうだ。
 トルコ航空のフライトでは酒が出されるので・・(エジプト航空ではビジネスクラスでも出なかったぞ ! ) トルコの地酒「ラク」を飲んでみた。アルコール度45%の透明な蒸留酒だが、水で割ると白く濁る。アニスでの香り付けだとか、独特の香りがして決して飲みやすいとは思わなかった。

 毎回の機内食にさりげなく添えてある "No Pork"の紙片(左の写真)は豚肉を食べないイスラム教徒への優しい配慮、現代流にいうと「食の安心」か。

 関空・イスタンブール間はトルコ航空直行便。トルコに着いてからはアンカラまで専用バスで1,800kmのツアー。アンカラからイスタンブールへはまたトルコ航空。
 現地ガイドさんはクルド人、イスタンブール大学出のインテリ。日本のことをよく勉強している。新婚5か月の身で5日間付き合ってくれた。
 トルコ料理は世界3大料理と聞いていたが、それほどの実感は伴わなかった。ビール、ワインはおおむねよかった。グルメツアーではないので、まぁいっか。

 通貨はトルコリラ。1リラは約90円。

 トルコ語は日本語と同じウラル・アルタイ語族なので、ガイドさんに言わせるとトルコ人にとって、語順が同じ日本語は学びやすいそうだ。でも、「ありがとう」が「テシェキュル・エデルム」だなんて、覚えられない。「メルハバ」 (こんにちは) をなんとかの一つ覚えで使った。

 トルコから見た日本は・・・トルコ人は一般論として親日的といわれる。
 明治23年、オスマン帝国最初の親善使節として明治天皇へ親書奉呈に来日したエルトゥールル号は帰路、和歌山県串本沖の大島付近で台風のため遭難。大島島民の救助活動や日本政府の尽力で、生還した69人は無事帰国、遺族には弔慰金が贈られるなどの交流があった。このエルトゥールル号遭難事件はトルコでは義務教育の歴史教科書に掲載されているという。

 トルコ建国の父アタチュルクは明治維新を研究、「日本に学べ」との思いでトルコの近代化を成し遂げたし、日露戦争で日本がロシアを叩いたことで日本びいきになったという。
 エルトゥールル号遭難事件から約100年後のイラン・イラク戦争、1985年にイラク軍によるテヘラン空爆が始まり、サダム・フセイン大統領が「イラク領を飛ぶ飛行機は撃墜する」という声明でイラン在住の外国人はテヘランから競って国外に脱出した。日本人は飛行機に乗れずパニック状態だったが、トルコがトルコ航空2機をテヘランによこし、日本人を成田へと運んでくれた。トルコ人はエルトゥールル号のことを覚えていてくれたのだ。

 トルコ軍艦遭難慰霊碑(和歌山県串本町樫野)、近くにトルコ記念館も。

 日本から見たトルコは・・・日本人はトルコのことを知らなさ過ぎる・・・んだよねぇ。
 トルコはいろんな顔を持っている。ヨーロッパの顔とアジアの顔、エーゲ海、地中海、黒海に面しており、中東にも隣り合わせ、大農業国でもある。トルコ共和国の前はオスマントルコ帝国、その前はキリスト教のビザンチン帝国。
 NATOに加盟、またEU加盟候補国でもある。


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