瀋 陽  (しんよう・その1)



  世界遺産「瀋陽故宮」

 瀋陽は遼寧省の首都。瀋陽市の人口約700万人。戦前の満州時代には奉天と呼ばれていた。

 女真族を統一して「後金国」を打ち立てたヌルハチ、その後「清国」と名を変えて統治したホンタイジの二人が住んでいた所。のちに北京へ遷都するまでは都だった。17世紀のお話。
 なお、ヌルハチ、ホンタイジの苗字は、映画「ラスト・エンペラー」の溥儀と同じ姓「愛親覚羅」。
 瀋陽故宮はその二人が住み、政治を司った場所で、その建造物群、今は博物院として当時の文物を展観している。


 故宮に足を踏み込んで最初に見える建物がこの崇政殿。ホンタイジはここで日常の執務に使った建物で、中心に玉座が龍の透かし彫りに守られている。

 これが玉座。


 八角形の大政殿。ホンタイジはここで清国建国の式典を挙行したという。
 ホンタイジの次の皇帝、順治帝の即位式もここで行われた。





 大政殿の中心も装飾豊かな八角形の天井。龍の図とそれを取り巻く透かし彫りの垂れ幕。柱も美しい。

 清朝時代の衣装で待ち構える二人は記念写真のお供 。


 清寧宮はホンタイジとその皇后が住んでいた宮殿。満州族の典型的な建築様式だとか。



 清寧宮の天井の装飾も豪華だ。



 永福宮の天井。永福宮はホンタイジの妃の一人で、順治帝の母になる人の住みか。天井も清寧宮のそれとは趣が異なる。




 鳳凰楼は清国の基礎を固めたヌルハチに続く清国初代皇帝ホンタイジ時代の後宮。3階建ての鳳凰楼は当時瀋陽で一番高い建物だったといわれる。

 入り口の上の扁額に「紫氣東来」とある。「高貴な気は東より来る」という意味の有名な言葉らしい。ホンタイジより1世紀後のあの名高い乾隆帝の筆だとか。




  

 時代は400年下がって20世紀初頭、日本でいえば大正時代。張作霖とその長男、張学良が東北部の軍閥を率いていた頃の建物。現在は博物館として当時の様子を展観している。

 張作霖、張学良とも満州事変の発端となった柳条湖事件関連の人物として、われわれ世代の遥かな記憶に残る。

 一介の馬賊から東北部の支配者へと上り詰めた張作霖とその子、張作良。関東軍にうまく利用され、のちに敵視された二人だが、張氏が権勢を誇っていた当時の官邸であり私邸でもある建築群だ。




 博物館の入り口。「張学良旧居」とある。国指定の文化財らしい。

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 これは二進院だったか、万里の長城への憧れを表わした扁額。
 そういえば3年前、北京郊外の長城「八達嶺」に登ったなぁ。

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 執務室で政務をこなしているのは張学良 (もちろん人形)。後ろの額に入っている人物が父親、張作霖の肖像。


 大青楼。3階建ての耐火建築の威容は張氏の権勢を偲ばせる建物だ。
 この中で政務を司り、要人を迎かえ、宴を催したといわれる。


  張学良が夫人のために作った部屋には美しい格天井。


 ここは小青楼の一室。
 小青楼も耐火煉瓦の建築物。柳条湖付近で張作霖の列車が爆破されたとき重傷を負い、運び込まれたのち死亡したのも小青楼の一室だと。

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